久原 躬弦  くはら みつる  1855,11 岡山県津山 生  1919,11,21 京都 没
 化学者・理博
津山藩主宗甫の長男。1877年貢進生として大学南校 へ進み、化学科の第1回卒業生の一人。大学理学部雑助教。1880年理学士となり、同時に北米遊学。ジョンズホプキンズ大学のレムゼンの下で有機化学を学び、1881年Ph.D(哲学博士)を取得、帰国。1891年理博。1894年一高校長。後京大理工学部教授、1903年学長。1909年ロンドンで開催の第7回万国応用化学会に出席。1907年以降ベックマン転位に関する報告が9報ある他、フェニルフタルイモドの研究がある。久原は1878年に東京化学会(1921年日本化学会と改称)を設立。その中心人物として事実上の会長の役割を勤めた。
櫻井錠二との関連
開成学校同級生/東京化学会設立
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